推し、燃ゆ 感想

題名通り今回芥川賞に選ばれた宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」を読んでぐっさり刺さったので感想を綴らせていただきたい所存

推しがいる人間だからこそ読み終わって苦しくなった凄い作品だった

 

ところで実はこのブログのタイトル?「子猫ちゃんと信徒」は元テゴシユウヤさんのオタクだった私(=子猫ちゃん)と、今回直木賞にノミネートされた(㊗️おめでとうございます!!!!㊗️)カトウシゲアキさんのオタクのシゲ担の友人(=信徒)、個々のファンとしてのスタンスから取っていて結構気に入ってるんですけども。ええ。

 

その某信徒さんから『推し、燃ゆ』貸していただいて読みました。ありがとうございます。

今度呪術廻戦貸します。

 

 

 

※ネタバレ含まれます

 

 

 

 

 

 

まずこの小説読むにあたって、

「推し」がいるか

もしくは

「推し」がいたことがあるか

で感じ方は大きく関わってくるなと

 

 

 

さらに加えると推しの

何らかの不祥事、グループの脱退、もしくは解散

などを経験したことがあるか も。

 

 

 

一つ目の「推し」がいる(いた)か

これは単純に推しを作ったことの無い人から見ると主人公、推しがいる人間の思考や行動は理解できないくらいヘンテコなものに見えると思うからです 

主人公にはタイトルにもある通り「推し」がいて、いわば彼女の生活は推しを中心に回っています

バイトは推しの活動に被らない日程で、そのバイトをする理由は推しにお金を使う為

推しという存在が愛しくて、存在を愛しているから彼の全てが愛しく見える、彼のことなら何でも知りたい、特に彼女は推しに対して解釈を深めるタイプのファンで、ノートに彼のあらゆる情報をまとめています

 

推しがいる人は彼女の[話す推しの質問への回答もある程度予想できる!]にも「わかるー!」ってなるし、[推しのためにお金稼ぎ、推しのためにCDを何枚も買う]気持ちも(これは人によるかもしれませんが多少なりとも)「わかるー!」となるのではないでしょうか。

 

学校に満足にいけない、中退後就職先を探すのもままならない、そんな主人公も推しを推す為なら不得手ながらもバイトに行くことができる

 

推しがいるだけで世界は色づくし、普通の人のように生活が出来ない彼女でも推しを愛することは普通の人の様にできた

 

 

 

私事でいくと半年ほど前、推しはグループを脱退し事務所を辞めて、現在はソロで活動しているのですが。

半年前まで私は推しが人生の幸せで大きな位置を占める、くらいファン活動に勤しんでいて。テレビラジオ全部追って雑誌も見てCD・DVDはもちろん買ってライブを楽しみに毎年生きて…みたいな。

推しがいなくなって、いや私の推しは主人公の推しの様に引退したわけではないですがまあ似たような状況になって、最初は生きがいを失ったような、涙が止まらないほど辛いような。時が過ぎて今はそれなりに他の趣味を見つけたり呑気にいますが、一つ今思うことが。

私はそんなに人生でどん底に落ちるような辛いことはまだ経験していなくて、プラスでそれなりにポジティブな人間なのでこの世から消えて無くなりたいとか、そういう風にまだ思ったことがないのですけれど、

これまでちょっと辛いことがあったら、逃げたかったり、そういう時に私の中で揺るがずにあったのが[今この世から消えてしまったら彼らの次のライブが見れない]だったんですね、これがある限り私はどんなに苦しくても必死に這って生き延びるだろうと。大袈裟だと思うかもしれないけど、推しって、そういう拠り所というか、人生の、私にとってはそういうもので。だから彼がいなくなって何を失ったって、本当に限界の時に自分を引き止めるものがなくなったなと思うわけです。

(基本ポジティブ思考で別にそんな落ち込むこと人生でないので病んでいるわけではないです!!!!ただ単純に概念の話です!!!私はしぶとくいつまでも生き続けます!!!!!!!!)

 

 

作中で推しの存在は「背骨」とされていて、その背骨って前に進むための背骨で、後ろに引きずられないための背骨で、本当に背骨。背骨。

 

主人公の推しは男女グループなので私の推しとはまた違うけど、彼女にとっての推しも、私にとっての推しも、彼女の友人にとっての地下アイドルの推しも、推しってそういうものな気がする よくよく考えるとかなり奇妙な存在

 

 

 

 

そして二つ目にあげた推しの不祥事、脱退、解散など

作中で主人公の推しは題名でもあるように燃える、直接的に今風に言うと炎上する

ファンを殴る」という不祥事を起こして炎上し、最後には結婚したのかもしれないという匂わせをして推しの所属するグループも解散

 

 

不祥事とか脱退とか解散とかあの血の気が引く感じが自分の中で経験としてあって、それ故にそのシーンが余計に刺さった

私の推しは燃えてもある意味不死身だけど、いなくなってしまったあの喪失感は似たものがあった

 

 

 

 

ここでリアルだなと思ったのが、主人公は最初からずっと、結局最後まで「推しがファンを殴った理由」を知ることはないんですよね

現実と同じで炎上で色々な情報が出て、それは本当かどうか分からないソースの無いもの、明らかに出鱈目だと分かるものも含めてとてつもない量になるけど、その答え合わせはできない 

私は推しのファンで、ファン以外の何者でも無いから。家族でも友達でも知り合いでさえ無い。だから結局何が理由で相手はどういう人で、どういう思いでその行為に至ったのか、経緯はどのようなものだったのか、数多ある“ウワサ”の中で本当はどれなのか またはどれでもないのか。

全てにおいて真実は何なのかは知ることがない。正確なことがほとんど分からない中で、自分の心だけを整理する。この描写がリアルで恐ろしかった。現実もそうだよね。

 

主人公はその距離感を幸せに思っていたし、推しに自分を愛してもらいたいと思わない、自分だって推しと四六時中側にいたいかと言われればそうでは無いと考えてて、それも凄く分かるし分かるしわかる 知り合いたいわけじゃなくて恋人になりたいわけじゃなくてアイドルとファンという関係にその結びつきに恋をしてするような感情 分かる。(分かるしか言えらん

 

でも最後推しが芸能界を引退した時、彼が住んでいるであろうマンションで洗濯物を入れる女の人を見て、そこに彼が住んでいるかはもう関係なく、その女の人が彼の婚約者か?なんて関係なく、全くの他人であったとしても、

自分が今後一生見ることのできない彼の姿を近くで見れる人がいるということ、自分の部屋にあるとてつもない数のグッズに勝る彼の一つのシャツを想像して苦しむ

 どんなに愛しても一生推して行きたくても、推しには人生があって、それは私の人生ではないから、推しと自分の人生が交わらなくなった瞬間、その愛の行き先は消えてしまう

 

 

分かる………(分かる分かる星人

 

 

 

 

 

続きまして

話の中で推しが炎上した時インターネットを通じてファン、外野、色々な意見を目にします 

私はアイドルを応援しているファンで、基本スキャンダルにそこまで動じない種類のファンで、好きな人が誹謗中傷にさらされる姿に心を痛めてきた人間、だから見えるこの小説の色、と

炎上している人間に火をつける種類の人が見るこの小説の色は全く違うんだろうなと感じる

私から見た主人公は、推しの炎上に対して低浮上になる程度で批判的な言葉を述べるわけでもない、少し経ってから心を落ち着かせて優しくお気持ちを表明するタイプの結構理想のファン

 

でも炎上に参加して楽しんだりしたことのある人、または何かしらのスキャンダルによって推しを“推す”のを辞めた人、から見た主人公はいわゆるお花畑に見えるのかもしれない みたいな

そういう話を聞いて確かにと思いました

 

 

 

 

 

 

 

あとめちゃくちゃ心が痛かったのが主人公の病気に対する家族の接し方の描写。

病院で診断名がいくつかついて、でも病院に行かなくなった 

多分よくあることで、診断名ついて明らかに病気だけどそういう人にとっては病院に通い続けることは日常生活を普通に送ることと同様に、さらにそれ以上に大変だし 治療を受けないと寛解には向かわないし……の難しさ

それに対して家族も普通の人のように生きられないこと、就職先を探さない、探せないことを、責めてしまう

それは努力次第でどうこうなるものではなく、どうこうなるものではないから診断名がつくんだけど、そういう状態は病気じゃなくてやる気のなさだとみなしてしまう 自分が努力しだいで人並みに動けて、そしてそういう知識がない人には特にそう思われてしまう 

責められると自分を責めてしまうそれが自分の努力でどうにかなるものでなくても、自分の努力不足だと責めてしまう。でもこんなに悔しくてもやっぱりできない。悪循環が進む。

しんどさが集結されててしんど……って気持ちが最後まで読み終わった後にも続きました 読み終わったあとにしんどさがハンパなく残るよ!って読む前から言われててほほーと思ってたけど案の定自分も残った。

 

家族と関係、祖母と母、母と姉、母と主人公、姉と主人公、父と主人公、それぞれの関係の書き方が重くて、関係が苦しくてまたこれもしんどい。

 

 

 

生きていくのが苦しい人、程度は様々でもみんな苦しさを乗り越えているけど、その乗り越え方として誰かを心のよりどころとして、生きるのはよくあること

それが推しの人もいれば、実際関わる距離の異性の人も、勿論同性の人も、家族の人も、人間以外の何かの人もいて。自分一人で乗り越えていける人も居ると思う

 

ただ拠り所を一人の他人に設定してしまうと、それは永久が保証されないから 失った時にしんどいよね

 

だから世間的によく言われるのは「人に依存せず自分自身で生きられるように」って言葉で 

 

これを読んだシゲ担が「とっちらかった日々に背骨を通してくれる存在のアイドルはめちゃめちゃ救いの存在だけど、それも所詮他人だし、やっぱそうまるっと上手いこといく救いの存在なんてなんにもない だから自分を削って上手くやっていくのが唯一の方法なんだけど、そう思うと辛い」と言ってて確かにー!となる。何にも依存せず自分で一人で乗り越える越したこと無いけど、でもそれって相当苦しくて、そういう意味でこちらにも救いがない 救いとは

 

でもう一つアイドルを応援するような界隈でよく言われるのは「推しを沢山作る、一つに依存しない」ってこと。

前者ができればそれに越したことはないけど、それができない人は誰かを拠り所にした方が行きやすい人は、せめてその先を一つにしないことが大切だと改めて感じます 自戒  

(話逸れたけど)

 

 

 

 

 

また、全体通して主人公の“推し”である「上野真幸」の人物像について主人公を通して情報を得ることができるんだけど、上野真幸いう存在がなんというか自分の次元に降りてくるというか、それ故に作中通して見える上野真幸の活動も炎上もリアルタイムで目にしてるような感情になるというか。

 

 

これはオタク特有の感覚なのかもしれないけど

上野真幸この世に絶対いるし、上野真幸のオタクもめっちゃいるんですよね 分かる? 

 

自分の好きになるタイプのアイドルではないし、私の好きなグループにもいないタイプなんですけど、こういうアイドルいるし、それに狂ってるオタクもいる、むしろ見たことある。TLに10人くらいいる。歌番組にまざま座でてるの見て赤の服の金髪カッコいいって呟いたらファンの人に「〇〇くんですよ!」ってリプもらった事もあるし。みたいな気持ちになる(勘違いです

 

そういう表現の凄さというか、もうほんまに小説とか詳しくないからなんでいうのか言い方が分からないけど、そういうのが良かった 

炎上の最中なのにちょっと態度悪くなっちゃう、グループの解散を自分のインスタライブ(ではなかった気がするけど的なやつ)で明日公式発表なのに言っちゃう 自分の口から言いたかったとか言っちゃう 解散の記者会見に指輪つけてきちゃう みたいなとこも 

それが正解じゃないって、それが批判されるって、ちょっと考えたら分かるのに、何で、って思うことをしちゃう、推し。

分かる……(分かる?)

 

 

 

あと主人公が推しは芸能界引退したらもう見かけても声かけないで欲しいっていうだろうな〜って思ってて実際推しがそういう風な事を言うところが、そんな別れの悲しい時でさえ、自分の今まで見てきた彼が変わらないところが、辛くてキツかった 

私の前からいなくなる推し、私に愛を注がせてくれなくなる推し、私ともう人生が交わらなくなる推し、その選択をした推し、

 

私が好きになった推し。

 

 

 

 

 

 

 

 

内容の感想以上です(唐突)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直題名聞いた時も、読んだ後も(小説界について何も知らない私の一般人としての意見として)芥川賞ぽくないなあ(芥川賞の事何も知らんけども)って思ったけど推しの炎上というのが一つの大きなテーマである作品が選ばれるのすごく現代的な気がした(芥川賞のことほんまになんも知らんけど)

 

内容実際読んでみると推し関係の話、に加えて主人公の特性や生き方が、もちろん噛み合って、同じくらいの量出てくるように思えたけど、この題名や紹介文(?)テーマが“推しが燃えた事”に収束されているのはなんというか、凄いよかった………歳ほとんど変わらない人がこんな素晴らしい作品を書いてるのに私の語彙や感想ときたら薄っぺらくて………悲しい………ぴえん……

 

 

 

私は小説?文学?に明るくないので、推しを中心にした目線でしか読めなかったけど、とにかく凄く面白い小説だった!!

 

 

 

 

 

 

最後に改めまして

加藤シゲアキさん「オルタネート」直木賞ノミネートおめでとうございます。

加えて「本屋大賞」ノミネートおめでとうございます。

 

加藤さんが、元々読書は好きでもなかなか自発的に読書に至らない私が、小説を読もうかなと手を伸ばすきっかけです。素敵な作品に出逢わせてくれてありがとう。これからも貴方の作品を楽しみにしています。

 

 

 

終わり✌️